GRAFFITI

2014.08.29

一人突っ走る男

初めて尾道という小さな町を訪れた時、友人に聞いた話で「この町には昔から文豪や画家が訪れ、しばらく滞在するもみんな去ってしまう。その淋しさと悲しみをこの町の人たちは胸に刻んでいる」。それを聞いた時、”イルポスティーノ”というイタリア映画を思い浮かべた。ストーリーは1950年代、ナポリ沖の小島に、チリの国民的詩人が亡命してきて島の貧しい若者が世界中から詩人へ送られてくる手紙の配達人となり、そこから生まれた交流の中で、次第に言葉の美しさに魅せられていく。とても美しく悲しい映画だ。瀬戸内海にはどこか哀愁のようなものを感じる。穏やかな海に幾多の島々が浮かび、そこを行き交う船、今では橋でつながっているが昔なら島々を結ぶのは船しかなかっただろう。そう思うと人の出会いと別れはとても切実に感じるだろうし、人々の喜びと悲しみは町の至る所にその痕跡を残す。今思うとその物語性に惹かれたような気がする。自分もこの町を訪れ1年余り経ったが、同じようにまたどこかへ去って行く。この町で触れ合った気のいい人たち、いつも心を癒してくれた瀬戸内の素朴で穏やかな風土と風景。この場所が自分にとって一つの転機となり、ここから次へ向かう起点となっている。

この町で生まれ育ち、夢を追い若くして世界へ旅立ち再びこの故郷に戻った男がいる。そいつはここで生きていくために”CATch.22″というBarを作り地道にこの町で何かを築こうとしている。9・14に行われる”尾道フェスails-Street of T”を仕掛けているのがその男”カズ”。この企画の発端から制作過程を間近ではなく少々遠くから見てきた。

今日そのフェス関連の用件があってカズと会った。当日まであと2週間に迫る中、自分の理想と努力とは裏腹に様々な困難と不安に見舞われ疲れきっていた。実際、カズがやろうとしている事は一人で仕切るのには少々規模が大きすぎるのではないかと少々心配していた。それでも本人の意思は強く、きっと誰が何を言ってもやるだろうと思っていた。そんなカズの疲れた顔を見て”やれるだけの事をやったら結果がどうであれ、それが今のすべてなのだからそれでいい”と俺は思うのだが、本人にはそう簡単には割り切れないだろう。世間では偉そうな事ばかり言って何もしない輩は幾らでもいるが、必死に立ち向かったという事実こそがいつまでも錆び付かない大きな自信となり力になる。だから俺はカズに”大丈夫だよ”としか言えなかった。きっと今のカズには俺の言葉よりも目の前にある難題が少しでも晴れる事のほうが救いになるのだろう。そもそも何をもって成功とするのか、それは人それぞれだと思うが何といっても出演するアーティストたちの音楽にふれあい、体感し大いに楽しんでもらえたらと思う。どれだけ動員数が少なかろうとそこにいる人たちを感動させられたら、本気で楽しませる事ができたらそれは成功と言えるのではないか。そして小さなシーンが生まれ少しずつ成長していければもっと大きな成功につながるだろう。一人の男が突っ走り故郷で何かを始めようとしている、やりたい事を全身全霊でやればいいと思う。それで転んでもまた立上がってもっとやればいい。それぐらいのバカがこの町にいてもいいじゃないかと思う。このフェスを押し売りするつもりはないが、この哀愁漂う尾道という町で一人の男が挑んだ音楽フェスというものを味わってほしいと思う。

2014.08.22

四万十日記

古い友人を訪ねて高知県四万十へ行った。20年前、四万十川へ移り住み全く何もない原野を開拓し自分の手で家を建て、そこでクラッシックスタイルのカヌーツアーガイド「四万十塾」を立ち上げ、川を通して人が自然と共存して生きる術を自らの経験と知恵で身につけ人々に紹介している凄い奴。「四万十塾」塾長、木村トオル。雨の中ナビを頼りに車を走らすが目的地付近に道が表示されない、携帯で連絡を取ろうと思ったらバッテリーが切れてしまい連絡できない、こうなったら自分の感を頼るしかない、何だかそれが四万十塾スタイルの歓迎と思えてくる。車1台が何とか通れるほどの山道を登って行くと家の屋根が見えた。近づいてみると看板もなくウロウロ迷ってると家からおばさんが出て来て”四万十塾ならこの向こうだよ”と教えてくれ、やっとたどり着いた。友人とは15、6年ぶりの再会、でもそれほど懐かしさを感じないのはネットや雑誌で見ているせいだろうか。スタッフのケンちゃん、二日前から手伝いに来ているユミちゃんの3人に迎えられ、来て早々ユミちゃんお手製三輪そうめんの昼食をごちそうになる、俺はいつもそうめんは出来合いのつゆで食べているが、だしをとって作ったつゆはとてもうまかった。料理は手間ひまかけたほうがやっぱりうまいんだなぁとしみじみ思う。それから早速川へ遊びに行く、先日の台風から降り続く雨で水量がかなり多く流れが速い。友人に教えられるままにパドリングするがまったく船体を操れない。漕ぐのも舵をとるのもパドル1本、トオルの動作を見ているとパドルを無駄なく優雅に使いまるで自分の身体の一部のように船を操る。俺は一つの動きすらまともにできずにあらぬ方向へ進んでしまう。”う〜んむずかしい”。カヌーの歴史が古く深いぶんその操縦術も奥深く美しい。友人も根気よく教えてくれたがその日はそれ以上上達する兆しもなく終わった。家に戻り薪で沸かした露天風呂に入り、冷えたビールを飲みながら夕食の準備にとりかかる。といっても俺はみんなの作業を邪魔にならないようにただ眺めてるだけだったが。まず火種になる木を割ってそれを積み木のように積み上げ火をつける、その上から薪をくべていく。途中俺がたばこをその中に放り投げたらトオルはそれをつまみ出し穏やかなトーンで”火とは暖をとるもの、食べ物を調理するためのもの、そして神聖なるもの”と都会人を諭すように言う。その面持ちはまるでシャーマンのようだった。(笑)ただ一つだけ手伝ったのは鮎の串刺し。身体がうねるように串を刺し、ヒレにたっぷりと塩をまぶし(これは焼いた時にカリッと焼け酒のつまみになる)そして身体全体にまぶす。そして1時間半以上かけてゆっくりと焼く。とても優雅な時間だなぁと思う。普段の俺は作る時間から食べ終わるまで30分くらいなもんだろう、しかもこの鮎は俺たちがカヌーで遊んでる間にスタッフのケンちゃんが捕ってきたものらしいからそれを考えたら何という贅沢だろうと思う。日も暮れ何品もの彩り綺麗な料理も出来上がり宴が始まる。うまい酒を飲みながら料理をつまみ、昔の話、今の話、未来の話に花が咲く。しばらくしていい具合に鮎が焼き上がりケンちゃんの食べ方講座が始まる。すっぽりと骨を抜き丸ごと食べられる方法を伝授される。がぶりと齧り付くと”うまい”その一言が心の底からわき上がる。鮎がこれほどに美味いものだとは思わなかった。命を奪ったからにはそれを大事に調理して味を十分に楽しむ、今までそんなふうに考える事なかったなぁと思う。

翌朝は雨と小川のせせらぎの音で目が覚める。朝食はコーヒーとホットサンド、これも美味い。朝食後、雨が上がり晴れ間が見えてきた。今日は昨日より上流の激流ポイントへ行くらしい、昨日俺の”激流ポイントはどこにあるのかなぁ?”という単純な質問をどうやら勘違いされてしまったらしい。そういうつもりで言った訳ではないのだが今更もう遅い。装備を積み込み上流へ向けて出発。まずはいきなり下るのではなく岩が点在していて流れにウェーブが立ってるところで練習。ピッタリと岩の影に舳先をつけしばらくそこで留まり、流れを見極め一気に旋回して流れに乗る。初っ端から俺のミスで横転してカヌーから投げ出される。そうなった原因を教えられ何度もくりかえし練習する。そしていよいよ下って行く、ゆっくりとした流れに身を任せ景色を楽しみ一息ついてると前方に白波が立っている。その手前で一度岸に着けて流れを読む、どのルートで進むかを見極める。それが決まると一艘ずつ下って行く、もしひっくり返ったり沈没した場合他の者がレスキューする。チームワークで下って行く。そこでユミちゃんのカヌーが波を食らって沈んでしまいそのまま100mほど流される。先に下って待機していたケンちゃんが救助する。そしてまたゆるやかな流れに乗って進む、すると橋桁に”この先激流”と描いてある。結局そこではケンちゃんのカヌーが沈没、カヌーと身体とをロープでつなぎ岸へと引っ張って行く。かなり見応えのある場面だ。そうやってゴールに到着するとケンちゃんが名誉挽回ともう一本トライすると言い出し、じゃあみんなでやるかという事になり無事にゴールを決め終了。家に戻り夜、火を囲みまた宴が始まる。翌朝も雨、朝食はジャガイモのパンケーキ、とにかく何でも美味い。朝食後、海へ向かいサーフポイントを見下ろす丘の上に住むレジェンドサーファーの家にお邪魔して、そこでみんなと別れ家路についた。帰り道、この三日間で経験した様々な場面を思い起こし確実にここに来る前と今の俺は違うと感じる。きっとここまでになるまでの道のりは長く険しかったと思う。何度も挫折感に襲われただろう、それでも自分の信じる生き方を貫き嵐を乗り越えてもなお今でもトオルは大きなものと静かに戦っているように思えた。友人として誇りに思う。それを支えるユミちゃん、ケンちゃんの想いもひしひしと伝わってくる。都会から大自然にちょっと遊びに来る俺のような者では想像できないほどの試練があると同時に自然の中で共に生きるという事の美しさは幾つになっても永遠の憧れだ。トオル、ユミちゃん、ケンちゃんと過ごした三日間はとても濃厚で刺激的でやさしく大きな愛に満たされていたと感じる。トオルはこの四万十から世界に向けていつもラブコールを送っている。そういえば川原でトオルがハート型の石を見つけて俺にくれた、なぜかいつも見つけてしまうらしい。ふと気づくと前庭の一角にハートの石がたくさん転がっていた、トオルは愛に生きる男なのだ。

家2
台所
焼きあゆ
トオル
とーるとゆみちゃん
石
馬
橋
四万十塾

2014.08.01

尾道の風景

2014.08.01

尾道と俺の話

2年ほど前の秋、中国地方を一人旅した事がある。四国の高松でライブがあり、それを終えてそのまま友人と徳島、高知へとサーフトリップした後、友人と別れ一人思いつくままに車を走らせ旅をした。まず始めに向かったのは島根県、太平洋からいきなり日本海へ。キャンプ場を探しテントを張って2日ほど滞在、石見銀山などを観光して次は隣県、鳥取に向かった。砂丘は昔、撮影で行った事があるが、なんだか小さくなった印象だった。その日は駅近くのホテルに泊まり明日はどこへ行こうと思案している時、ふと尾道という地名がポツリと頭に浮かぶ。その神秘的な地名の意味する土地に行ってみたいと心はすぐに決まる。尾道には行った事はないが20年来付き合いのある友人がその町にはいる。たまに連絡を取り合うくらいになっていたがそれでもいつも節目節目ではタイミングよく連絡をくれ励ましてくれる大切な友人だ。その友人に会いに尾道へ行こう、それでこの旅は終わりだと決め翌朝、広島県尾道へ向かった。夕方ちかくに到着して尾道水道沿いのホテルにチェックインしてから町をブラブラと散策する。古い町、懐かしい、それが素直に受けた印象。商店街を歩いているとシャッターの閉まった店が目立つがなぜか悲壮感はない。それがこの町の普段の日常風景であるからそこにまったく違和感を感じないのだろう。夜、友人の案内で新開という飲食街にある小料理屋で地の魚や寿司などをごちそうになった。派手さはないが素朴でこの町の味がした。食べながらお互いの近況やこの町についていろいろな話を楽しみその日はいい気分で早々に寝た。翌日は朝から町を散策、小高い山の斜面に所狭しと並ぶ古民家住宅や古寺、生活路が細く急な坂道や階段しかないため車やバイクの乗り入れができない。高齢者には厳しい環境のためだろう空き家が目立つ。屋根や土壁は崩れ落ち朽ちはててはいるが、緑に覆われ自然に戻ろうとしているように見える。昔そこにあった人間の営みの残骸が草花や木と交じわり一つの造形となっている。木が生い茂る葉の隙間から差し込む光がそれらを照らす様は美しい。遠い昔、この町にも景気に沸き立った賑やかな時代もあっただろうがその時代の遺物がそのまま処分される事なく永い時を経て今もこの町を彩り人々に親しまれ十分すぎるほどその物自体の目的を果たしている。その美しさや素朴でのんびりとした雰囲気に惹かれお御洒落な若者やアーティストたちがそれをベースに再利用してカフェやパン屋にリメイクしているのも目立つ。この先この町がどう変わっていくかはわからないが今のところそれほど変化を求めてはいないように思う。何でもかんでも古いものは忘れ去られ消えてなくなりひっきりなしに無機質で合理的ばかりをデザインした建造物で埋め尽くされるよりも勝手ながらこの国にこういう古き町の姿がこの先も残っていてほしいと思う。この旅最後の夜はしまなみ海道で二つ目の因島でテントを張り一夜を過ごした。そして翌朝東京へと長い道のりを戻った。

これが最初に尾道を訪れるまでのいきさつとこの町で感じた素直な感想だ。この時、この町でライブをしようと決めた。

それから約半年後の春にその友人の協力を得て尾道、鞆の浦でのライブが実現した。自分で言うのもなんだが俺の音楽は場所を選ぶと思っている。というよりそういう場所を探していると言った方が正しい。それを選り好みと言われればそうかもしれないが演奏するイメージが湧かない場所や誰も望んでもいないような場面で演奏するほど俺の音楽はポピュラーでもなければ強引でもない。聴きたいと思ってくれる人たちや、演奏したいと感じる場所があってこそ成立する音楽でありライブなのだと思っている。この尾道、鞆の浦の二つの場所はどちらも海に面した古い港町で下手に演出なんかしなくてもそこで演奏するだけで絵になるような場所だ。連日で行ったそのライブはお客さんも遠方からまたは近くの町からたくさん来てくれ、みんなこの場所や町の雰囲気すべてとそこで観る、聴く、感じる音を楽しんでくれたと思う。ライブ後、こんな場所で腰を据えてアルバムを制作できたらなぁと思い軽い気持ちで口にした事が発端となり、その3ヶ月後にそれが現実となる。近くの島の町外れ、ひっそりとした雰囲気の海岸沿いに別荘を借り東京から機材や生活するための一切合切を運び込み淡々と無期限の尾道レコーディングと創作生活が始まった。始めのうちは音楽はそっち退けで身体と頭を都会モードからローカルモードに変えようと暇さえあればあてもなく歩き散策して瀬戸内海の絶景を眺められる場所をさがしたり、あとは古くなった家のあれこれを修繕して過ごした。この別荘は贅沢すぎるほどの場所にあり、すぐ目の前は入り江で水平線には小さな小島が浮かび湖のような静かな海原を色とりどりの大型船や小さな漁船が行き交っている。そんな眺めがいつもすぐ目の前にある。サーフィンはできないがその環境が五感に影響する事は疑い用が無い。まず始めに感じたのは聞こえてくる音、そのほとんどが自然音だという事。東京に住んでいるとほとんどは人工音だがここでは波の音、鳥の声、虫の声、あとはせいぜい野良猫の鳴き声くらいなもんで人間の生活音を勝っている。そんな場所で創作に影響しない訳が無いと思う。そうやって始まったアルバム制作は半年を経てついに完成した。とにかく自分だけの感性で作り上げる事にこだわり四苦八苦する事もあったが様々な事に挑戦し経験する事で得たものは大きい。出来上がった作品は「What I think about The World」と名付け今年初旬に発表。今作は映像やジャケットアートワークにまで手を出し、その他の雑務までこなすとなると正直「本当にできるのか?」と自分を疑ったが何とか根気よく途中で投げることなくやりきる事ができた。その一番の要因は今振り返って思うのだがきっとこの環境にあったと思う。この自然美や環境音がいつも様々なストレスから解放し癒してくれていたように思う。自然は人間に優しく寄り添い惜しみなく与え、時に厳しく圧倒的な力で奪う。サーフィンをしてるとそれがよくわかる。この地球、自然があってこその人間なのだからとありきたりながらも率直にそう思う。

自分にとっての大仕事を一つ終えてから暫く経った今、さて次は何処へ行こうか!次はどんな音が生まれてくるのだろう?そんな気持ちが違う場所へ移動する事を求めている。一生自分には落ち着く場所がないのかもしれないと時々不安にもなるが、本来人間は生き残るために大いなる旅をしながら世界の至る所にたどり着いたという説があるから俺のやっている事はまんざら変でもないだろう。ただそれをやる事を許し影で支えてくれている家族や友人たちの存在には大変感謝しているし大いに励みになっている。

気づくとだらだらと纏まりの無い文章になってしまったが、まぁ簡略すると尾道にたまたま訪れ軽い出来心からこの町でアルバムを制作するまでに事が運び、めでたく完成したまでの話でした。ここからが本題(笑)。そんなこんなもあって夏も終わりの9/14日曜日、尾道で小さなアコースティックフェスが行われる。前ツアーが終わった後、次回作ができるまでライブをしないと決め、いくつかあった誘いもお断りしていたのだがこの町に恩返しとまではいかないまでも自分にできることで「ありがとう」と言いたいなぁと思い参加する事にしました。しかし、いつも通りにただソロで演奏するだけでは自分にとっても観てくれる人にとっても新鮮味や刺激に欠ける。せっかくなら尾道のミュージシャンと演奏できたらなぁと思い、この町と俺との出会いを無意識にではあるがこうやってつないでくれた生まれも育ちも尾道の友人とその相方、2人にお願いして共演する事になりました。この町ならではのスペシャルな演出だと自画自賛ではあるがこのノスタルジックな古き良きロマンの町、尾道の音楽フェスに是非いらしてください。

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